皆さんもスーパーに行くと、食品コーナーに「おはぎ」が並んでいる光景をよく目にするのでは思います。私もおはぎは好きでよく食べます。皆さんもおはぎ好きではないかと思います。

 

そんな、みんなが好きなおはぎですが、素朴な疑問なのですが「ぼた餅」と何が違うのか?と思う事があります。意外と知っているようで知らない事実です。私も気になり調べてみたので、ぜひ皆さんも参考にして下さい(^^)/

おはぎとぼた餅の違いは、もの違いではなく季節の違い!

 

先ず、私が調べたのはおはぎとぼた餅って、どんな字を書くのかという事です。おはぎは「お萩」、ぼた餅は「牡丹餅」と書きます。この様に書くと何となくイメージがしやすいかと思います。

実意はですが、おはぎとぼた餅の違い地うのはものの違いではないのです。要は食べる季節によって変わってくるという事です。

●おはぎ ・・・ 萩の季節、秋のお彼岸に食べるもので、あずきの粒をその季節に咲く萩にに見立てたものなのです。
●ぼた餅 ・・・ 牡丹の季節、春のお彼岸に食べるもので、あずきの粒をその季節に咲く牡丹に見立てたものなのです。

 

因みに何でおはぎには餅がつかないのか?何故、牡丹の方にだけ餅が付いたのでしょうか?という事ですが、それにも理由があります。

その由来は、「倭漢三才図会」に「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあります。牡丹餅がぼたもちになり、萩を丁寧に言っておはぎになったというのが、最も一般的な説です。

よって、春はぼたもち、秋はおはぎと春秋使い分けないといけないのです。ですが、近年、その由来を知らない方もいいいですから、スーパーなどで販売されるときはおはぎで年中販売されています。

 

 

他にも色々な説があるので参考にといういうだけですがいかにも載せておきます。

・「あんによる違い説」・・・小豆あんをつけたものが「ぼたもち」、黄な粉をまぶしたものが「おはぎ」
・「あんの状態による違い説」・・・こしあんをつけたものが「ぼたもち」、つぶあんが「おはぎ」。
・「大きさによる違い説」・・・丸くて大きいものが「ぼたもち」、小ぶりで長めに作られたものが「おはぎ」
・「米の状態説」・・・もち状態なのが「ぼたもち」、つぶつぶが残っているものが「おはぎ」

 

おはぎやぼた餅を食べる習慣は何で?歴史や由来は?

 

では、いったいなんでおはぎやぼた餅を食べる習慣が日本にはあるのかも気になるところです。白いご飯に小豆餡をまとうのにはどんな理由がるのかも調べてみました。

 

小豆は縄文時代の古墳から発見されるほど歴史は古い食べ物です。日本の生活に欠かせない食品でした。古来『赤色』には『魔除け』の力があると信じられていました。小豆は祝の席や儀式の際にはお赤飯や砂糖をまぜてあんこにして捧げられてきました。

その習慣が今日まで、脈々と受け継がれてきたのです。お彼岸では『五穀豊穣』を、小豆には『魔除け』の意味を込めてぼたおはぎやぼた餅にするのです。

自分の先祖への感謝と家族の健康を願って墓石やお仏壇にお供えするようになったといわれています。

 

おはぎやぼた餅以外にも色々な呼び名があります!

 

今はおはぎと言われることが多く、それ以外のケースだとぼた餅くらいしか思い浮かべれないはずです。ですが、意外な事にそれ以外の呼び名も多数あるという事です。

私が調べた限りでも、おはぎやぼた餅以外の呼び名は以下の様に多数ありました。

萩の餅(はぎのもち)、はぎのはな、萩の強飯(こわいい)、、きたまど、隣知らず、餡ころ、あんころもち、半殺し、Σ(・ω・ノ)ノ!などなど・・・

因みに、半殺しっていったい何なの??って私もさすがに気になったのでさらに調べてみました。すると、一部の地域で本当にそう呼んでいるという事が分かったのです(笑)

 

おはぎやぼた餅が「半殺し」と呼ばれる地域について!

 

はんごろしは、徳島県那賀町でつくられる郷土菓子(おはぎ)です。那賀町と徳島大学が連携して開いている地域再生塾の特産品事業化の第一弾として相生地域の名物おはぎが選ばれ、ユニークな名称から人気となったそうです。

おはぎを「はんごろし」と呼んでいるのは旧相生町の一部で、もち米を半分ほどしかつぶさないのが由来といわれています。もち米を全部つぶすと「みなごろし」になるのとか・・・(;^ω^)

群馬県ではぼたもちを「はんごろし」と称しているそうです。こう考えると、日本の各地の地域ならではの歴史があるのがよく分かりますね。おはぎやぼた餅一つとっても、色んな歴史が出てきます。